民藝を訪ねて
第五回 融民藝店
山本亨商店 山本直樹
融民藝店
山本尚意
YAMAMOTO Takanori
プロフィール
対談
おかやま住宅工房
中川 大
NAKAGAWA Futoshi
おかやま住宅工房 中川大

03 作り手とともに現代 の民藝を模索する。

中川
中川 山本さんとして、融民藝店で新たにやってみたいことはありますか?
山本
山本 この店を僕が引き継いだころは、コロナ禍の真っただ中だったので、融子さんが苦手だったメールなどを使って、オンラインで県外の方々とやり取りできればいいなと思っていました。カタログ的にオンラインの写真を見て、ただ購入するだけでなく、ちょっとやりとりがあって、自分で選んで買っているのだと体感してもらえるようなオンライン販売ができないかなとは思っています。

あとは・・・どこのお店も展示会や個展をするのですが、融子さんが『民藝』であることよりまずは使いやすさを大事にしたように、展示会をするために企画するのではなく、何か伝えたいものがあって、それが結果的に展示会に繫がればいいなと思っています。僕なりの展示会の仕組みを考えていて、今、備中和紙の作り手である丹下さんからもすごくヒントをいただいているんです。
中川
中川 ここからは丹下さんにも参加していただきましょう。丹下さんとはお店を引き継ぐ前からお付き合いはあったのですか?
山本
山本 僕が一方的に存じ上げていて、少し接点があったぐらいです。
丹下
丹下 山本さんとは、ほぼお店を引き継がれた後からのお付き合いです。最初は、融子さんが置いていた品物がそのまま山本さんが引き継がれる店に必要なのだろうかと思って、僕の備中和紙は引き揚げるつもりだったんです。

山本さんとしっかり話をしたことがなかったので、いつもはそんなことしないんですけど、いかごの須浪君も呼んで、「ごはんでも行きますか」と珍しく誘ったんです。近くのうどん屋さんへ行って話をしてみて、「信用できる人だな。山本さんが引き継ぐなら継続して置いてもらいたいな」と思いました。

それに、自分の作ったものについて、理解して細かい説明ができるお店がないんですよね。自分が実験的に作ったものとか、まだ迷っているところがあるものを「こんなん、作ったんよ」と持って行くと、山本さんはうれしそうに見てくれるんです。「これは全然面白くないな」と言われてもいいんですけど、今まで作った物は全部面白がってくれたので、僕もいろいろ持って行ったろう、みたいな感じで意欲が湧くんです。

今、備中和紙で球体の張り子を作っているんですけど、山本さんは民藝の関連知識も豊富なので、球体が思わぬ所へ繋がっていくんですよ。河井寛次郎が自分の家の庭に丸石を作らせて、コロコロ転がして鑑賞していたとか。僕は僕で、YouTubeで『丸石神』というのを知って、この球体の張り子が丸石神っぽいなと思ったり。

ほかには、今は「トンネル」と呼んでいる、かまぼこみたいな形の張り子を作っています。ほかの作り手にもこの形を作ってもらったら面白いんじゃないかということで制作してもらった磁器のかまぼこもあります。
中川
中川 木工の作り手にお願いすれば、木彫でできるわけですか。面白い試みですね。作り手からしたら、そういう試みの相談ができる配り手がなかなかいないということですよね。そこから発想は広がっていくのに。
山本
山本 ただ、『融民藝店』なので「民藝とは何か」ということを常に考えておく必要はあると思います。丹下さんの張り子は、ベースに備中和紙があります。今は手紙を書く人も少なくなり、封筒とか便箋の需要が減っていくなかで、「手漉きの備中和紙はこれからどうなっていくのだろう」という部分で可能性を探っているわけです。

最初は「張り子か・・・」と思ったんです。よく見かける可愛い張り子が出てくるのかと思ったら、石を型にして作った白くて丸い張り子が出てきたんです。それを見たとき、僕はいかに固定観念にとらわれているのかと・・・崩れ落ちる気分で、すごいと思いました。お客さんも皆さん手にとって驚かれますよ。
中川
中川 丹下さんは、作り手であるだけじゃなくてプロデューサーですよね。
山本
山本 固定観念は崩しているのですが、飾りとして置いて目で見て楽しむという張り子の機能は残したまま、むしろ違う可能性を感じさせてくれて衝撃でした。そういうものは古いものと一緒に並べても違和感がなくて、むしろ古いものが新しく感じられます。

たぶん「丹下さん、展示会をやりましょうよ」という話からだと、展示会は始まらないと思うんですよ。張り子のような面白いものが丹下さんの中から徐々に出てきて、それがだんだん形になって、その結果をまとめて展示しましょうという流れになると、すごくいい展示会になると思うんです。丹下さんからの提案が、「これからの展示会は、どのような形が良いのだろう」という課題の解決に繋がりそうです。だから丹下さんが持って来てくれるものが楽しみで、ほかの作り手さんともそのような展示会のやり方ができないかなと思っています。
中川
中川 民藝店の役割があまりにも固定化してしまっていて、作り手さんからしたら「自分の新しい試みを見てもらえる場所はあるのだろうか」という気持ちかもしれないですね。
山本
山本 長く続いている民藝店では決まったサイクルで展示会が開かれるので、それは良しとして、僕がやるなら、というところで考えると、毎年決まった時期に展示会をするということが疑問だったんです。丹下さんの作るものは和紙で、それが素材となって文字を書くのか、建築資材となって壁に貼るのか、今までと違う新しいものを作るのか。素材がどう使われてどうなっていくのかというところまで、丹下さんは考えています。そういう手仕事を今まで見てきたので、この先がとても楽しみだし、展示会に繋がるといいなと思います。
中川
中川 僕たちは以前、丹下さんが和紙を漉くところを見せていただいて、あの紙が張り子の球体になるというのは、びっくりですよね。
丹下
丹下 2020年ごろから張り子を作り出して、最初の1年間は失敗続きでした。素性を隠して張り子教室に通ったんですが、ある時にばれてしまって行かなくなって。その後約1年は自分で失敗しながら作っていました。安定してきたかなというところで、柚木沙弥郎さんに張り子をお送りしたんです。きっかけは吉備津土人形の猿の家を作りたいと思ったことなんですが、できた形はサルの輪郭なんですよ。形が柚木さんぽいから面白がるんじゃないかと思ったのと、柚木さんがデザインした柚木沙弥郎張り子を作りたいとも思ったので、送ってみたんです。

そうしたらお手紙が来て「手仕事として親しみ易く 何の不備な点はありません」とお褒めていただけて。でも、柚木張り子を作りたいという内容が全然伝わってないわけですよ。で、もう一度手紙を書いたんですけど、返事がなかった。まあ作りたい形はいくらでも出てくるので、作りながら良いお便りが来るのを待っています。とにかく今は売れる売れないは考えずに張り子を作りたいと思いついた日から一日も休まず、今日も貼ってから来ました。帰ってからも貼ります。僕はあまり外に出ないのですが、自然の風景が好きなんだなというのは作ってみて初めて気づきました。

白くて、ぽてっとした球体の張り子は「冬のシリーズ」と呼んでいて、ほかに仲間がいくつかいて、型だけ持って来て山本さんに見せています。階段の形とか、もう少し雪が積もったのとかも、この2か月ぐらいで作ります。
山本
山本 最初に持って来てくれた張り子も、細長い柱の上に雪がポコッと残っているような丸さとか、自然の中で見たような繊細な曲線が取り入れられているんですよ。
中川
中川 すごいですよね。備中和紙といえば丹下さんですけど、張り子でさらに幅を拡げようと、毎日試行錯誤されているわけじゃないですか。
山本
山本 丹下さんは、毎回いい意味で自分を壊している。そういうものが家の中にもあるといいじゃないですか。いかに自分がいろいろなものに縛られているかを、丹下さんの張り子に気づかされます。
【つづきます】

民藝とは
「民藝」とは「民衆的工藝」のことで、大正時代末期に思想家・柳宗悦(やなぎ むねよし)らによって提唱された。芸術家が作る鑑賞するための美術品ではなく、名もなき作り手による、機能的な美しさを備えた日々の暮らしのための器や道具のことを指す。民藝の品を保存し、普及、発展させる民藝運動が全国に広まり、各地の民藝館を拠点に現代に受け継がれている。
備中和紙とは
備中和紙のルーツは、岡山県西部の成羽川沿いにあった集落・清川内(せいごうち)に伝わっていた手漉き和紙。機械生産による紙が大量に流通し始めた1950年代、「国産原料だけで作る本物の紙を」という倉敷民藝館初代館長・外村吉之介のアドバイスによって、丹下哲夫が清川内の紙づくりを進化させた。1964年に外村によって「備中和紙」と命名され、便せん、封筒、はがきなどの商品が新たに考案された。1980年、奈良・東大寺の大仏殿の大規模な改修が行われた際、1200年以上を経た経典を次代に遺すため、名だたる書家、芸術家が新たに経典を作り、納める「昭和の大納経」という一大事業が執り行われた。その際、書写の土台となる紙すべてに備中和紙が採用された。
河井寛次郎(かわい かんじろう 1890~1966)
柳宗悦、濱田庄司らとともに民藝運動を牽引した陶芸家。技巧的で華やかな初期の作風の後、大正末期からは民藝の「用の美」を表した暮らしの器を制作。晩年には木彫にも取り組んだ。
柚木沙弥郎(ゆのき さみろう 1922~ )
美術史を学ぶため東京帝国大学(現・東京大学)に入学するも、学徒動員。父の生家がある岡山県倉敷市玉島に復員後、勤務していた大原美術館で芹沢銈介の型染作品に出会って民藝に関心をもち、弟子入り。染色の技法を用いた仕事はグラフィックデザインや絵本、染布、版画と幅広く、ポップな作風は世代を超えて人気を集めている。
丸石神
山梨県を中心に各地に残る、丸い石を御神体と崇める民間信仰。

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