民藝を訪ねて
第四回 須浪亨商店
須浪亨商店
須浪 隆貴
SUNAMI Ryuki
須浪亨商店 須浪直樹
対談
プロフィール
おかやま住宅工房 中川大
おかやま住宅工房
中川 大
NAKAGAWA Futoshi

フィギュアも民藝も好きなものに垣根はない

中川
中川 籠はどういうところが面白いですか?
須浪
須浪 例えば瓦は、このあたりでは黒くて、県北へ行くと赤くなって、山陰ではまた黒くなります。地域によって違いますよね。地域による違いが最も出るように思うのが籠なんです。特に素材です。このあたりだと干拓地で米があまり作れず、イ草が穫れたからイ草で作った。県北の蒜山へ籠づくりを見学に行くんですが、ヒメガマで作るんです。もともと手提げ籠として作っていたのではなく、雪の降る地方で農作業に使う背負い籠として昔から使われていて、それをもとに作っています。県北へ行くとガマで、少し南の勝山は竹細工ですし。
用途によって形が変わっていく過程が工芸的で、試行錯誤を積み重ねて、洗練されてできていった形があります。そこにはある種、祈りのようなものがあったり、装飾的になったり。南北に延びる日本では、北と南で生活スタイルも生えている植物も違うから、出来上がってくるものも違って、暮らしの数だけ形があると思うんです。生まれた理由のある、質素な暮らしから生まれた仕事が好きですね。そういうことを調べて集めるのが昔から好きです。
中川
中川 飾られている籠とかの民藝品にもびっくりしましたが、その中にポケモンのフィギュアが・・・。
須浪
須浪 ポケモンは幼稚園ぐらいからずっと好きで、あえて言うと、世代的なものかもしれませんが、アニメや漫画が好きで、籠も好きで、特にそれが変なことでもないかなと思っているんです。生活の中でアニメや漫画には触れるとしても、籠ってあまり普通の家庭で育っていたら触れることがないかもしれないですよね。身近にあるかないかの違いで、好きなものの組み合わせに、特に垣根はないような気はしています。僕はもともと集めるのが好きで、ポケモンの フィギュアでもわりと初期の、ほどよく造形が稚拙だったりするものとか、立体として好きなシリーズを集めたりしています。
中川
中川 初期のものも新しいものも、ほとんど同じデザインに見えるんですけど、違いがあるんですね?
須浪
須浪 そうなんですよ。ピカチュウでも、大衆受けを求められるじゃないですか。昔のものと比べると今のものは、デザインがだんだん丸くなり、あか抜けてきています。昔のピカチュウとかニャースとかの初期のカードを見たら全然かわいくないんですよ。そういう変化とか、フィギュアのこの造形は稚拙だけどいいとか思いながら集めているから、モノを見ることは楽しいですよ。何でも集めるというより、コンセプトに共感したり、この造形は好きだなと思った ものを集めているので、そういう「見て、選んで、買う」といった感覚は、仕事にも役立っている気はしますね。
中川
中川 ポケモンのフィギュアを見てコレクションする時の感覚と、籠を作っている時に働かせる感覚は同じなんですね?民藝の思想である「自分が手に取って気にいった、手になじむものを。」という意味では、フィギュアも同じで、民藝が特別なものではないということですよね。
須浪
須浪 そうですね。基本的には変わらないです。
中川
中川 黙々と一人ものづくりに向かっているイメージがありますが、籠づくり以外の作り手の方と横のつながりで刺激を受けることもありますか?
須浪
須浪 ありがたいことに、いろいろな方に良くしていただいています。岡山で籠を作っている人ってあまりいないんです。ガラスの作り手の方は多いんですが、籠を作っているのは僕一人で、ガマを使った蒜山の籠づくりの方は􏍚 人かな。僕のおばあちゃんぐらいの年齢の方で、訪ねて行って話もしますよ。竹籠を作っている年上の方とも仲良くさせてもらっています。
一番年齢が近いのは備中和紙の丹下さんで、話していると楽しいです。いい意味でフランクに話をさせてもらって、いろいろ教えてもらっています。あとは大分県の小鹿田焼(おんたやき)に行くと年齢の近い方がいて、お付き合いがあります。岡山でほかのジャンルだと木で器を作っている方が仲が良くて、いろいろな話をします。
中川
中川 いかご作りの仕事を目指していたわけではないと言われていたけど、高校の頃から比べると世界が広がりましたか?
須浪
須浪 そうですね、ものづくりや見ることが好きだったので、仕事自体がすごく楽しいですね。地方に民藝のものを見に行くのも好きですし。
中川
中川 子どもの頃から籠づくりをするおばあさんのそばにいたんですよね。何か思い出深いことはありますか?
須浪
須浪 籠を作っている時の機織りの音。ザッといってガタンていう機織りの音がすごく頭に残っています。あまり苦労せず、すぐに籠が作れたというのは、おばあちゃんが作るのを見ていたことと、音でリズムが分かっていたというのが大きいような気がしますね。頭の中に聞こえている音と同じように自分が織っていくんです。
中川
中川 なるほど、暮らしの中に機織りが当たり前のようにあったんですね。ところで、一日にどれぐらいの数量を作っているんですか?以前伺った倉敷ガラスの小谷さんは、1日に数個しか作れないと言われていました。注文があるから今日いくつ作るといった作り方もされるんですか?
須浪
須浪 結構ずっと織っていますね。ありがたいことに、店に卸す籠を作るのに追われています。音楽はあまり詳しくないんですが、今流行の曲を聴きながら作ることもありますよ。単純作業で目が自由な時は、YouTube とかアニメを観ながらやっている時もあります。すごく意識を高くもってやっているわけでもないんです。
中川
中川 民藝の方は皆さん一人でコツコツされていますよね。作った籠は、どんな反響がありますか?
須浪
須浪 そうですね・・・直接反響を聞くことは少ないんですが、店の方や買った方がインスタグラムでタグ付けしてくれて、広まっているようです。手提げ籠以外にも、お酒の瓶を入れて持っていく時に使える細長い籠とかも作っています。稀に、お客さんが友達に差し入れとしてお酒を入れて渡したら、籠ごともらえると思われて、籠は返してって言いづらくて、もう一つ買ってもらうというありがたい循環があったりなんかも(笑)。
【つづきます】

蒜山の手提げ籠
岡山県の北部、蒜山に伝わる農作業用の背負い籠をもとに作られている手提げ籠。材料のヒメガマは、防水性や保温性に富み、雪の多い地方で使われる蓑や雪靴を作るのに最適。地元の女性たちによって、地方の伝統的な技術が継承されている。
小鹿田焼(おんたやき)
大分県日田市の山間、小鹿田皿山地区で江戸時代中期から作られている陶器。民藝運動の提唱者である柳宗悦やバーナードリーチが訪れて高く評価したことから知られるようになった。地区で採れる陶土を水で粉砕する唐臼の音は、「残したい日本の音風景100選」に選ばれている。
倉敷ガラス
昭和40年代前半(1965年~1970年)、ガラス玉作りの職人だった小谷眞三氏が、民藝愛好家の要望に応えてガラスのコップを作ったのが始まり。倉敷民藝館・初代館長の外村吉之介氏が、「用の美」をよく表した味わい深いコップに『倉敷ガラス』と名付け、後に倉敷特産の民藝品となった。

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