おかやま住宅工房
中川 大
NAKAGAWA Futoshi
中川
1年かけて手織りについて学ばれるわけですが、4月に生徒さんが入ってきたら工程の大変さにびっくりされるんじゃないですか?
石上
まず糸を結べないですね。「機結び」という結び方。今、生活の中で糸とか紐を結ぶことがあまりないんですよ。1週間ぐらい結ぶのばかり練習させます。結べないと、糸が切れた時につなげないですもの。
中川
今の時代は、手仕事というものをしなくなりましたからね。
石上
しなくなったし、だいたい素材自体が丈夫で切れないでしょ。
中川
特に若い世代は、結べる人は少ないかもしれませんねえ。一番若い方で何歳ですか。
石上
高校を卒業してすぐ来られる方もいらっしゃいます。最近少なくなりましたけど。だいたいみんな大学を出てから来ていて、増えているのがお仕事を10年ぐらいしてから来られる方ですね。仕事を辞めて来ると言うから、入る前に「よく考えなさい」とは言いますが、やっぱり来ますね。
中川
生徒の皆さん、学校での暮らしは予想通りという感じですか?
石上
多分、学校の内容は知ってて来られると思いますが、入る前に必ずカリキュラムを伝え、中も全部見学してもらいます。作品展が一年に一回倉敷民藝館でありますので、その時も来てもらって、卒業した先輩がどんなものを織っているか見てから入学します。
中川
作品展を始められたのは、生徒さんの作品を広く見てもらいたいということからですか?
石上
そうです。昭和28年に学校が始まった時からずっと、倉敷民藝館で開いています。作品を見てもらいたいのと、手仕事の良さを広めたいということもあります。
中川
民藝についての考え方も広めたいということですよね。生徒さんはここで1年間勉強されて、気持ちの変化についてなど、お話されていますか。
石上
やはり外村先生が教えていた時代の人と、今の人はかなり違いがあると思います。先生、すごく怖かったんですよ。ここにいる時は生徒たちも怖がっていたのに、卒業して帰っていったら、もう尊敬しかない。叱られるというのは身に染みていいことだと思いますよ。
中川
奥様が実技を担当されて、ご主人が講義をされているんですよね。講義は厳しいですか?
石上
柳宗悦が書いた『工芸文化』を教科書にして、解説をしています。みんな、かしこまって聞いていますよ。この和室に正座して、1回の講義が2時間ほどあるので、最近は正座するとひっくり返る人が多いです。
中川
皆さん、やりたくて来ている人たちですからね。ここに置いている調度品とか、家屋の雰囲気も好きな方が多いでしょうね。
石上
ここの生活には寝具と洗面具と着替えぐらいは持ってきますが、自分たちの持ちものはほとんど持ち込んでいないです。団体生活なので役割分担して、規則正しい毎日ですね。今年は5人が生活しています。
中川
そういう生活に入ると、入学するまでの日々の生活を見直すでしょうね。
石上
今の住宅は暖房もあって快適だから、ここは寒くて暑くて、ヒーヒー言ってます。2階の生活スペースには暖房設備がないので大変ですよ。
中川
夏は涼しいんじゃないですか。
石上
そう思うでしょ。外から入ってきた方は涼しいと言うんですけど、しばらくいたら同じです。やっぱり暑い。でも皆さん、こういう所に住んでみたくて来られるようです。
中川
今30代ぐらいの若い方でも、ミニマリズムというのでしょうか、無駄なものを排除して、「本物だけを持ってシンプルに暮らしたい」という方が増えているようですね。
石上
ここに来られる方はそういう方が多いですが、寒さとか、不便さというのは住みだしてから実感するでしょうね。あまり文句は言いませんけど。
中川
男性はいませんよね。
石上
家族のために作るという考え方ですから、開校当初からいないです。外村先生の時代に入学したいという男性もいましたが、入れなかったです。
中川
そこは徹底して女子のための、ということですね。卒業されていく時には、皆さんそれぞれの思いを持って帰られるわけですね。
石上
それは皆さんそれぞれの習得の仕方ですね。でも途中で辞めて帰る人はほとんどいませんから、学ぼうとはっきり決めてそのまま1年間過ごされるのでしょう。
中川
それだけここでの暮らしや手織りの世界が魅力的だということでしょう。引き継がれてから約200人の卒業生を送り出していらっしゃいますけど、卒業後は皆さんどんな生活をされているんですか?
石上
昔の生徒さんとちょっと違うのは、昔は自分の意志で来られていた方もいらっしゃいますが、親に言われて来る方も意外と多かったんです。そうすると、卒業して家へ戻って機を織るんですよ。親が機と機場も用意してくれるという人が多かったです。ノッティングを織る、着物を織る、幅の広い大きなものを織ると、織るものによって機が違って、3台ぐらいは家に持って帰っていたんです。ネクタイを織る機もあって、一番持って帰った生徒さんは4台ぐらい。ところが今、そんなに置き場がないんです。1台でも難しい。それが可哀想かなと思いますね。
中川
皆さん、どこでどうやって織っていらっしゃるんでしょう。
石上
家や仕事場を借りる人もいるし、働きながら夜、小さい機で織っている人もいますね。機を織る場所がなくなっているし、音が大きいからマンションではできないんです。
中川
音がそんなに大きいんですか?
石上
すごく力を入れますから、とんとんと織るだけでも音が嫌な人はいるでしょう。難しい時代になりました。ただね、手織りでは食べていけなくて、それが一番悲しいですね。手織りで自活できるともう少し張り合いがあるかなと思いますけど。
中川
卒業してお店を開いてもかまわないんですか?
石上
ええ、お店をしていらっしゃる方は何人もいらっしゃいます。昔はね、それで食べていけたんです。昔は着物をみんな普通に着ていたので、着物と帯を織って売ることができました。それで子どもさんをちゃんと学校まで出した方もいらっしゃいます。でも今は、着物を着ないから帯もいらない。安定した収入にならないです。時代の流れだから仕方ないですね。
中川
ここで手仕事を習って技術を身に付けて、講義で「民藝とは何か」という思想を学べば、かなり目も肥えてきますね。「もの」というのは、こういうふうに見るんだという考え方を教えるわけですよね。
石上
目は肥えますね。教科書にしている柳宗悦の著書の中に「ものの見方」といったことが全部書いてあります。大切なのは「直観」。それを学ぶと、普段の生活とか、いろいろな場面でものを見る時に役に立つんです。
中川
織物だけではなく、ほかのことにもその考え方が応用できるということですか?
石上
そうです。一本筋がわかると、人生そのものを照らし合わすことができるので、昔の卒業生たちの中には、すべてをここで学んだ考え方に照らし合わせて生活しているという方がいらっしゃいます。
中川
「暮らしの在り方」を教えているというのは、そういうことなんですね。時代が変わっても変わらない考え方。
石上
そうです。外村先生はそれをとても強調されました。民藝で大切なのは「民藝の考え方」。能書きを先に読むのではなくて、ものを見た時に感じる直観の方が大事だということを教えていらっしゃいました。それはいろいろな場面で応用できますので、意識や暮らし方が変わっていくんだと思います。
中川
女性の方は独身の時はもちろん、家庭を持てば子育てのこととか、夫婦間のこととか、悩むことも多いと思うのですが、そういう時にもその考え方は生かせるということでしょうか?
石上
そうです、生かせると思います。昔の卒業生の方はよくそうおっしゃいます。
中川
学校が始まった65年前というと、女性が家のことをするのはもちろん素晴らしいことだけど、男性のもとで女性の立場として不満に思うことも日々あったと思うのですが、そういう時にも、ここで学んだ考え方に救われたんじゃないでしょうか。
石上
そうですね。外村先生はキリスト教を信仰されていて、ここで生徒たちと一緒に生活しながら、怖いけどすごく亭主関白というわけでもなく、平等目線からのものの見方を実践していらっしゃいました。生徒さんの誕生日会やクリスマス会をするのは、当時の平均的な家庭で育った方にはなかったことでしょ。そういう暮らし方を見て、生徒たちはものの見方や考え方を身に付けていったんだと思います。
中川
いろいろな考え方があるということをここで知った方もいらっしゃるんでしょうね。柳宗悦はクリスチャンではないですよね。外村先生は大学で神学を専攻されていたから、外村先生のスパイスも加わったということでしょうか。
石上
そうですね。柳先生はキリスト教や東洋の宗教にも精通されていて、ほとんど宗教学者です。全て勉強されたうえでの民藝という「思想」です。
中川
「民藝」というものをもっと狭い世界で捉えていました。思想も含めての、もっともっと広い考え方ですね。
【つづきます】
研究生の作品展について
倉敷民藝館で毎年11月に倉敷本染手織研究所の研究生による作品展を開催し、即売も行われる。研究所の敷地内にある染め場でも即売会を開催する。